ビブリアについて。
発売当初に読んだきりなので、原作の記憶空っぽで観てきました。
夫に先を越されましたが、私なりの感想を。
以下、ネタバレですのでご注意ください。
『切通のシーンについて語りたい』
主に過去編で使われていました。
過去編のヒロイン・絹子と、小説家を目指す青年・嘉雄が逢瀬を繰り返した場所です。
絹子が画面の左側(木漏れ日が降り注ぎ、明るい)から現れて嘉雄のいる画面中央(切通の岩の前、暗くはないが鬱蒼とした)に駆け寄る、という風にパターン化されていた印象があります。
ちなみに、画面右側の道の先はカメラで映されません。
絹子が「この道の先には何があるのかしら」的なことを言いますが、道の先に何があるのか明確に示されてはいませんでした。
切通のシーンは、嘉雄の心理描写として、過去と未来あるいは現実と理想を表現したシーンのように思えます。
左側が過去であり、理想。
右側が未来であり、現実。
みたいな。
絹子がやってくる左側はキラキラ眩しくて、先の見えない右側はなんだか薄暗い。
絹子への思いと将来の不透明さみたいなものが、リンクしているように思えません?
駆け落ちするシーンでは土砂降りの雨でした。
切通の岩の前でじっと待つものの、絹子は時間になってもやって来ず、諦めた嘉雄は画面右側へ消えていきます。
道の先、へ嘉雄は一人で行くのです。
小説家になると言いつつも認められない才能。
高等遊民と揶揄する親族たち。
勝手に進められる縁談。
絹子との未来を絶たれた嘉雄は、そんな暗澹たる現実と、そこから続いていく未来へ向かっていく……。
土砂降りの雨がより憂鬱な雰囲気を醸し出します。
なんとも〈らしい〉別れのシーンでした。
ちなみに、現代のシーンでも切通が出てくるのですが、そのときに登場するのが嘉雄の孫・稲垣です。
嘉雄が書いた小説についてモノローグで言及しながら現れるのですが、このとき出てくるのは画面右側からなんです。
孫(未来)の立場から、祖父(嘉雄の過去、若かりし頃の恋)について語るわけですから、なるほど!という演出です。
大輔でなく稲垣なのも良い。
嘉雄視点、ですから。
* * *
取り留めのない感じになっちゃいましたが、ひとまずこんな感じで。
一回しか観てないので記憶違いがあるかもですが、そこはご容赦ください。