『高嶺のハナさん』のドラマ、BSを家では見られなかったので今地上波放送に合わせてみていますが、いや~、面白いっすね。
さて、小学五年生なラブコメから、ディストピアSFまでなんでもござれのムラタコウジ先生の最新刊、『アカイリンゴ』3巻の感想です。
以下ネタバレありの感想!
いやいや、この『アカイリンゴ』誰がここまでディープでヘビーな話になると思ったでしょうか。
1巻の時はオバカディストピアや~! なんて思っていましたが、2巻の末から顔見せてきた「ガチ」感に3巻で完全に当てられました。
主人公の犬田君が友達を助けるために父親を裏切って行動を開始します。
やっぱりあれか、ゲートウェイ行為であるキスを済ませたからなのか、これ。
昔の話ですが、中学校のときに初めて恋人ができたことを思い出しました。
なんかあの時ってみんな「彼氏ほしい! 彼女ほしい!」って言ってて、やっぱカレカノありの人って所謂カースト高かったですよね。
「おう…私にはいるんだぞ、ソレがさ…」
っていう今になって思えばこれが若さか…と赤い彗星に笑われそうな、全知全能感がありましたよね笑
犬田君もゲートウェイを通って、自分の価値観で物事を捉えるようになったということでもあるでしょうか。
ここでなぜアカイリンゴの世界では例のアレが違法行為になっているのか、ってところなんですけど、
独裁的な為政者としたら考えるチャンスを奪っていって、とりあえず従順にいてもらえばヨシ! ってわけですよね。
だから『1984年』ではニュースピークという言語を作って、考える枠を奪って、『図書館戦争』『華氏451度』では考える源である本を読む自由を奪ったり。
先ほど書いた「ゲートウェイを通ると自分の価値観で動き出す」ということにしておくと、「ゲートウェイ」を通らせないことは自分の考え・価値観を持つきっかけを奪う行為として捉えられているのだなと思ったり。