中学生のときに『ザ・コックピット』シリーズを読んで以来、松本零士作品のファンなので、『ダンガードA』も読まなきゃなとずーっと思っててやっと読み終わりました。
以下感想。
ネタバレありですけど、もう40年も前の漫画だからいいですよね。
どんな話かだけさらっと
地球オワコンになりつつあるから、思い切って幻の太陽系10番目の惑星、「プロメア」に移住しよう。
主人公の父親「おっしゃ! 先遣隊として行ってくるぜ!」
悪いやつ「俺選民思想あるから、プロメアに移住できるのは美男美女で頭いいやつだけ。主人公の父親が抜け駆けしようとしたってことにして先遣隊の船全部破壊したろ!」
どかーん
主人公「父親は裏切り者の汚名を着せられたがそんなことない! ダンガードAで反撃だ!!」
リアルにダンガードA出てこない
ロボットアニメファンの中ではダンガードAの知名度ってめちゃくちゃ低いですよね。
だって、スパロボに参戦してないし、シリーズ物でもないので。
(スパロボに参戦してなくても、超時空騎団サザンクロスなんかは超時空シリーズだから有名だと思う、名前だけは)
知ってる人もスパロボwikiの未参戦作品の項目で「松本零士が巨大ロボット好きじゃないから」って理由で載ってる以上の情報はほとんど持っていないはず。
(アニメも4クール以上あるし、見るのもしんどい)
2巻完結の漫画版ダンガードAですが、本当に主役ロボ・ダンガードAはラスト見開きにしかでてきません。
ダンガードAも当時主流だった合体変形メカなんですが、ダブルゼータでいうΖフォートレス形態でほとんど戦闘を終わらす感じ。
しかもその戦闘シーンですら描写なし。
描写なし、というのは、一応主人公タクマはダンガードAの変形モードで戦うんですが、霧が張ってたり超スピードだったりして、一気に読み切ったものの、その姿は全く印象にナシな感じ。
松本零士のエッセンスは詰まってる
じゃあこの作品はなんなんだよ、といえば「松本零士作品」なんです。
私は松本零士作品とは苦悩する戦士である、と思っているのですが、まさにそれ。
主人公タクマは移住船団を破壊した裏切り者の父親の子供、ということで逆境スタート。
途中で敵から寝返った謎の鉄仮面(ネタバレすると生きていた父親)にしごかれながら戦士となっていきます。
タクマの父も「死ねなかった戦士」という業を抱えていると考えられます。
どういうことかっていうと、
『ザ・コックピット』は読んだことある方はおわかりかもしれませんが、松本零士作品って「帰ってこない」です。
『宇宙戦艦ヤマト』でいえば沖田館長は地球を目前に死んでしまいますし(宇宙戦艦ヤマトが松本零士の作品なのか論争は別として)
『銀河鉄道999』の鉄郎だって、彼が旅立った本来の目的である機械の体を手に入れたかどうかってのは最後明確に描かれず、エターナル編に入った後も地球に戻っていたところからスタートしてます。
松本零士にとっては戦いから戻ってくること(≒物語の結末)は重要じゃないんです。
『ザ・コックピット』なんかもそうですけど、最後のページに(男たちがどうなったかは誰も知らない…)みたいな短文が書かれたりするじゃないですか。
このあたりは富野由悠季の『機動戦士ガンダム』主人公アムロ・レイの「僕にはまだ帰る場所があるんだ」と比較できそうな感じですね。
旅、未知の世界へ赴き、そこで何をするかが松本零士とって重要、
ということを踏まえると、「地球を守る」っていうロボットアニメのフォーマット自体が松本零士には不向きだったんじゃないかな〜と。
それでも松本零士はすごい
でもアニメは50話以上やってるわけで、容赦なく打ち切られる当時からすると一定以上の評価を世間から得られていたということになりますが、
松本零士の世界ってのは、彼一人では書ききれないエネルギーを秘めてるってことだと思います。
私としては銀河鉄道999アニメ版は漫画原作を超えていると思ってますし、ザ・コックピットも新谷かおるや島本和彦が同じフォーマットで書いてることを考えると、他の人のアイデアが加わることによって輝きを増す力が松本零士作品にはあるのではないかと。
なぜ松本零士はダンガードAを描いたのか?
そりゃ永井豪『マジンガーZ』に負けたくなかったからでしょう。
ただ、前述の通りロボット物自体は自信の作風のコアな部分には合わなかっただけかと。
最後話が脱線してますが、『惑星ロボ ダンガードA』2巻完結なので読むタイミングがあれば読んでみてもいいと思います。
ただし、宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999(劇場版)みたいな冒険活劇ではないので、好みは分かれると思います。
だめだったら松本零士作品は他も合わないんじゃないかな。