今年38本目の映画です。
草彅剛主演の映画『ミッドナイトスワン』を観てきました。
前々から気になっていたものの、ずるずるとここまで来てしまい、上映終了ギリギリに滑り込みで鑑賞してきました。
以下、本編の内容に踏み込んだ感想となりますのでご注意を。
とにかく、最初から最後まで感情が揺さぶられ続ける映画でした。
言及すべきシーンや演出はたくさんありますが、
私が特に語りたいのは、劇中、凪沙がマンガを読むシーン。
手にしていたマンガは『らんま1/2』でした。
『らんま1/2』をざっくり説明すると、呪泉郷の呪いにより、水をかぶると女の子に変身してしまう体になってしまった早乙女乱馬が、元の「男の体」に戻るためにあれやこれやするお話です。
高橋留美子による王道ラブコメで、全38巻です。
新装版も刊行されていますが、ミッドナイトスワンに登場したのは旧装版でした。
時代もありますが、『らんま1/2』はLGBTに配慮した作品ではありません。
連載当時と現代とではLGBTに関する空気感というか、社会の動きは大きく変わっていますから、特定の表現についてどうこう、という意図は『ミッドナイトスワン』でもこの感想においても全くありません。
あの狭い部屋で、凪沙はなぜらんまを持ち続けていたのか。
ここで考えたいのはそのことです。
旧装版が発行されたのは1988年からで、新装版が刊行される2002年までの間に発行された単行本を、凪沙は持っていたことになります。
本の状態は悪くありませんでしたから、大事に保管されていたことが伺えます。
らんまは、男が女になるお話です。
トランスジェンダーの凪沙は、幼い頃から自分の体が女でないことに強い違和感を覚えていました。
単純に読み解くと、水をかぶれば女に慣れてしまうらんまに対して、憧れや羨ましさがあったのではないか、と考えられます。
生まれつき男として生まれてしまった凪沙は、手術を行わない限り女の体を得ることはできませんから。
(映画の後半、たとえ手術をしても望んでいた体を手に入れられるわけではない、という現実が描かれているのがミッドナイトスワンの辛さであり、凄さでもあります)
そこからもう少し深く読み解こうとすると、羨ましさではなく、純粋な憧れの眼差しをらんまに向けていたのでは、と考察できます。
らんまは、元々男の体ですが、「自分の意思に反して」女の体に変身できるようになってしまいます。
できる、というよりはさせられてしまう、という言葉の方がより正確かもしれません。
らんまは男の体が本来の自分だと考えていますから、女の体は自分ではないのです。
一方の凪沙は、女の体が本来の自分のはずなのに、「自分の意思に反して」男の体をしています。
自分の望んだ性別の体ではない。
らんまは男に戻るためにあれやこれやするわけですが、その姿に、凪沙は憧れを抱いたとは考えられないでしょうか?
らんま好きとしては、「水をかぶれば女になれることを羨んでいるから」よりも、こちらの方がずっとしっくりくるのです。
なりたい自分になるために、戦う。
現実はそう簡単ではありません。お金がかかるし、体にも相当な負担がかかります。
だからこそ凪沙は、『らんま1/2』というフィクションに想いを馳せて、なりたい自分になるための日々を送っていたのではないでしょうか。