お帰り寅さんがヒットしている中、まだ合計で10作も見ていない私なので、せっせと過去作品を見ています。
今回は第19作目、寅次郎と殿様を見ました。
出だしのこいのぼり騒動でしっかり笑わせてくれながらも、スメるところはきっちりとシメる作品ですので、深いなぁと感じました。
ちょっと寅さんが不憫でもありましたが…笑
ネタバレがありますので、未視聴の方はお気を付けください。
登場人物が思う「過去」と「未来」
今回の大筋は、殿様という「過去」に生きるおじいちゃんと、死んだ息子の妻、鞠子が進んでいく「未来」に焦点が当てられています。
伊予大洲で、「藩主」として生き続ける殿様。東京は田園調布で暮らしている長男が成功していそうなところを考えると、若いころは殿様も当然やり手であったことでしょう。
東京へ追いやった末、早逝してしまった息子に対して、殿様はずっと悔やんでいた。
そんな中で出会った寅さんに、自分が縁を切ったことなど気にもかけず、元気でいてほしかった息子を重ねてみていたことでしょう。
もちろん寅さんの話が殿様にウケたというのもあると思いますが、東京からの旅人をもてなすことが殿様にとっての贖罪ではなかったのではないでしょうか。
「まりこ」に会って、息子の思い出話を語りたい… 人生も仕舞い時に近づいた殿様の儚い望みに胸を打たれます。
一方で鞠子は再婚を考えており、未来へ進む気持ちがしっかりと描かれています。
なぜ、大洲の夫の墓参りに出かけたのか
それも鞠子の中で再婚する気持ちが固まっており、その報告に行ったのではないでしょうか。
殿様に「大洲に戻ってきて、一緒に暮らしてほしいとまりこに伝えてくれ」、と頼まれたさくらに鞠子は言います。(実際にはこのシーンで再婚を考えている、ということがわかります)
でも私は若いんだし、どんな人生がこれから広がるかわからないし、例え苦労が多くたってそういう生き方を選ぶべきだと・・・そんなふうに思うのよ
寅さんも作中で触れていますが、青砥団地に暮らす鞠子にはきっと大洲の生活は合わなかったことでしょう。
青砥団地は第一から第五まであり、第一・第二は立て直しされていますが、
第三~第五までは、ちょうど映画公開と同時期に建てられています。
最先端の暮らしの象徴であった団地と、過去の遺物ともいえるお城での田舎暮らしの比較が色濃く描かれています。
コミカルの中に"見通せない"ものがある
「死別を経験した人を、最初から心から迎える男はいるだろうか?」
これは作中で何度もタコ社長をはじめとして、登場人物の台詞に出てきますが、
鞠子の未来が暗示されているともいえます。
2020年になった今でこそ結婚に関する価値観は多種多様ですが、
当時の時流としては「いるだろうか?(いや、いない)」だったのではないでしょうか。
(もちろん、今だってあることでしょう)
寅さんがさくらとの別れ際に語った言葉を涙ながらに話すさくらの様子からも、
本当に幸せになれるのだろうか という想いが読み取れます。
さくらが涙を流したのは、今回もフラれてしまった兄の気持ちを慮るだけではなく、
「結婚」というものに対して、経験がないという観点から一種のニュートラルな視点を持つ兄ですら、幸せになってほしいと思いながらも、心配になってしまう事象なのだ、
という気持ちも含まれていたと思います。
最後に
ワンちゃんの「トラ」かわいかったね・・・笑
今後も出てくるんでしょうか