今年11作目の映画です。
『1』に続けて二日連続で視聴しました。諸事情で感想記事を挙げるのは遅くなりましたが…
いやぁ~、面白かった…
今のところ今年に入ってよかった映画ナンバー2ですね。
今作品がオタク的マストな作品であることは視聴前から耳には入っていましたが、
それが本当であるということを痛感しました。
この作品については正直いろんな人がいろんな目線で語りつくしているでしょうから、
今更ネタバレもくそもないと思うんですが、話の核心に触れる内容ありです。
オタク特有「俺はわかってる」にささる
「ラストシーンまでロボットの戦いが全く出てこない」というのはロボットアニメとしては×が3個ぐらいつきますけども、
でもそれがいい。だからこそいい。
監督が持つ政治的信条は一見の私にはわかりませんが、
冒頭シーンの柘植がトリガーを引けなかったシーンと、後藤隊長と陸自の荒川が話す場面で言いたいことは結構簡単に飲み込めるのでよいかと。
自衛隊は戦えるのか?
というのは当時かなりもめたっぽいですからね。
もちろん今もインド洋、紅海に自衛隊は派遣されていて、問題は決して終わりを向けたわけではありません。
とはいうものの、自衛隊は戦えるのか? 問題については、オタクにとっては思想には関係なく物語のシカケとしてはあるあるですね。
『沈黙の艦隊』や『空母いぶき』や、『シン・ゴジラ』…思いつくだけでもこれだけあります。
いずれにせよ、ロボットアニメという枠でロボットが最後しかでない展開にオタクの「フフフ・・・」が聞こえます。
百里と小松からスクランブルかけるシーン嫌いなヤツいないでしょ?
ここよ、ここ!!
このシーン、ロボットアニメ史上としても屈指の名シーンであるなぁと、見ていて手に汗握ってしまいました。
ロボットアニメの名シーンといえば何かと問われればおそらく『マクロス+』のあのシーンだったり、『ガンダム1st』のラストシューティングだったりするとあると思いますが…
この指令室のシーンも入るでしょ!
無線のかすれ具合だったり、コールサインだったり、オタクが求めている「リアル」があのシーンに詰まってますよね!!
(I say again ロボットアニメ枠にパトレイバー2を入れていいのかはちょっと審議アリかもだけど)
虚構の平和とは何なのか
ちょっと固い話になりますけど、「平和ボケ」という単語があります。
作中にも何度かでてきたと思いますが。
そして、大方この「平和ボケ」は攻撃するための言葉ですから、目の敵にされて「目覚めさせるんや!」ってことで物語が始まること多いです。
「平和ボケ」はなぜ「目覚めさせられるのか」という話になるんですが、
これってなんでなんでしょうか?(そりゃ軍需産業的な利権にね…って話になれば一つの結論がでるので終わりだとは思うんですが、心情的な面で)
今作で言えば、橋がミサイルにより爆破され、更に捏造された自衛隊機による首都侵入があり、権力者が「日常を守るため」の手段として警察ではなく、自衛隊の力を利用します。
街に展開する戦車は軍用ヘリを見て、一般市民はどう思ったでしょうか?
「えっ、自衛隊が来るぐらいだから戦争になるの?! 気を引き締めなきゃ!」
作中では少なくともそんな描写はありませんでした。
通勤電車に詰め込まれ、家でご飯を食べ、戦車で警戒中の自衛隊員に保育園児たちが手を振る。
蜃気楼の街、東京に暮らす人たちは目の前の自衛隊(=戦争)という現実を目の当たりにしても、変わりなく過ごしていた様子が描かれていました。
2020年の新型コロナウイルスの一連の騒動はどうでしょうか?
私たちも非常事態宣言という政治的フェーズを経て、感染者数の増加という半径500mの話になったところで大騒ぎしました。
劇中のように政治的フェーズで終わってしまうと、結局は平和はボケたまま保たれていくのではないかと思います。
どこかで引き金が引かれたことをリアルタイムで市民が知ることになっていれば、「平和とは何か?」を柘植が思ったとおり市民が大混乱するという形で考えさせられることになったでしょう。
しかし、結局は「知らぬ間に終わって」しまった劇中の出来事。
戦術的に見れば、柘植は引き金を最後まで引けなかった、ということになるかもしれません。
結論
とりあえず見よう