『仮面ライダーセイバー』ついに最終回を迎えました。(新ライダー、リバイスとの引継ぎ回があるみたいだけど増刊号らしいので)
このブログではセイバーには「居場所」がないから面白くない、ということで以前に批評しましたが、最終回まで見ても結局これは解消されることなく終わってしまいました。
改めて『セイバー』の全体を通して感想を書いていきたいと思います。
設定倒れの数々…神山飛羽真は剣豪ではあったが文豪ではなかった
「文豪にして剣豪」がキャッチコピーでしたが、結局文豪設定は生かされる事なくセイバー本編は終わってしまいました。
ラスボスのVSストリウス編で急に敵が「詩を昔は書いていたのに全知全能の書に載ってたので嫌になった」だとかメイちゃんに原稿を渡して本にしてもらうなどやっていましたが、ここに至るまでの飛羽真の小説家設定が全くと言っていいほどないため、
「お、おう…エモいね」という感情しか私たちには与えられませんでした。
(後述しますが、この「エモさ」による呪縛にセイバーは敗北したと思っています)
本当ならば作品を生み出すことを否定されたストリウスの悲哀を小説家である神山飛羽真を通じて彼が持つ苦しさを理解できるはずだったのに。
私たち視聴者にとっては「小説家は死に設定」であるにも関わらず、物語の根幹では小説家設定は大事にされ続けていた、そのギャップに最後まで困惑し続けた方も多かったのではないでしょうか。
セイバー 朝井リョウ で検索したら出てくると思いますが、セイバーが小説家であるという設定が発表された後は本職の小説家も反応してくれたこともありました。
前作の『ゼロワン』で大和田伸也、山本耕史、西岡徳馬といった名俳優から中山きんに君といったお笑い芸人まで「特撮にこんな人が?!」というサプライズを私たちに見せ、実際に非特撮界隈までその話題を広げられたわけですから、
セイバーでもメディア露出OKの小説家が出演する…なんてことも可能だったかもしれません。(羽田圭介とか頼めば喜んで出てくれたんじゃないだろうか)
なんなら、1話脚本を書いてもらってもよかったかもしれない、セイバーはそういったコラボができる可能性があった土壌だったということは言うまでもありません。
他にも、仮面ライダーバスター、尾上亮の父親ライダー設定も出オチでした。
クウガ現役世代が親になっていてももうおかしくありませんから、ここももっと生かせる設定だったはず。
仮面ライダーセイバー、最大の失敗は
結局、セイバーがシリーズ1、2位を争う駄作である理由は
「日常回の欠如」からなる「ライダーたちの描写不足」
物語が余りにも内向きだった
の2つでしょう。
公式HPを参照すると、セイバーは5話の時点でライダーが5人も出ています。
1話:セイバー 2話:ブレイズ(青) 3話:バスター(大剣) 4話:カリバー(紫) 5話:エスパーダ(黄)
※この後6話で剣斬(緑)、9話でスラッシュ(紫)が登場。
1クール目はカリバーとの戦いに費やされ、終了時には物語のメインキャラである賢人が退場してしまいます。
結局、新ライダー登場回+ライダー同士の闘いでキャラクター固めを固めきらないまま2クール目に移行。
2クール目は飛羽真のノーザンベースから離脱からの、「飛羽真、俺と勝負しろ!」終わってしまい、ライダーたちが一体何を考え、なぜ戦うのかが明かされないまま取返しがつかなくなってしまいました。
「新ライダー(または新フォーム)登場」→「飛羽真、俺と勝負しろ!」
これを物語の主軸として置いた結果、敵対するサウザンベースのキャラクターがなぜ敵対しているのか描写不足のまま敗れていき、気が付いたらマスターロゴスが悪役として飛羽真たちの前に立ちはだかっていたという後半に収束してしまいました。
どうでしょう、OPに出てきた悪役3名のうち、ストリウス以外のキャラクターはなんという名前で、いつ物語から退場していったか覚えてらっしゃる方はいますでしょうか。
日常回がなく、ライダー同士、またはデザストのような名前ありの怪人との戦いに明け暮れた結果、
「悪から世界を守る」という描写を減らし過ぎたため、後半マスターロゴスが「世界を滅ぼす!!」と言ってデカい本で世界中を襲った際も一般人が逃げ惑うシーンまで描写がありませんでした。
4クール目入ったあたりか、屋上で神山劇場つくったり、流しそうめんやったりしてましたけど、焼石に水でもはや不自然でしかなかった。
なぜセイバーは日常回を描けなかったのか 2+1つの呪縛
セイバーを失敗作とまで言わしめた日常回の欠如がなぜ引き起こされたのか、3つの原因があると思います。
1.前作ゼロワンの「お仕事5番勝負」のトラウマ
2.重視されるエモさ
3.販促の厳しさ
一つずつ解説していきたいと思います。
1.前作ゼロワンの「お仕事5番勝負」のトラウマ
皆さんの記憶にも新しい、ほぼ1クール分使ってそれまでのゼロワンの評価を一転させた「お仕事5番勝負」。
令和の「エンドレスエイト」とまで言われたあの時期は苦痛でしかありませんでした。
しかし、お仕事5番勝負こそ、制作側からすれば物語の本筋からは外れた主人公たちを描く日常回に他ならない話だったでしょう。
「お仕事5番勝負」の評価が予想もしないほど不評だったと制作側がゼロワン終了後にTTFCで公開したゼロワン裏話的なやつでのインタビューにも載っていました(正式名称忘れた。怪文書と公開当時言われていた気がする)が、
「お仕事5番勝負」の再来を避けるがあまり、セイバーはあえて日常回を描かなかったのではないでしょうか
2.重視されるエモさ
エモいは、英語の「emotional(エモーショナル)」を由来とした、「感情が動かされた状態」[1]、「感情が高まって強く訴えかける心の動き」[2]などを意味する日本のスラング(俗語)、および若者言葉である。
セイバーは「エモい」場面の塊です。
父親でライダー、エモい。
友達が遺した武器を使ってエモい。
実は生きててエモい。
自分の鏡のようなライバルと戦ってエモい。
同時に変身してエモい。
最終対決でノーマルフォームで戦ってエモい。
場面場面では確かに「エモい」かもしれませんが、それに偏重しすぎて場面づくりのみが意識された結果、話がブツ切りになってしまった印象が否めません。
そういうインスタントな感動は、短い時間で消費されるなら構いませんが、それが1年という長い作品の息の根を止めてしまったといえるかもしれません。
3.販促の厳しさ
ライダーを序盤で出しまくったのは、クリスマス商戦に間に合わせるためでしかないでしょう。
どっかで放送開始を繰り上げて展開に幅を持たせたほうがいいんじゃないですかねぇ。
8月開始だと夏休みでキッズが観なくなっちゃうから、7月開始…?
つーか、東映は放送一週間はyoutubeやらTTFCで無料公開とかしたほうがいいよ。
最後に:セイバーのよかったところ
仮面ライダーサーベラ、神代玲花だけはよかった。
前作のやらかしポイントを反省して、1人のライダーとしてちゃんと活躍できていたと思います。
ゼンカイジャーとのコラボ回で見せた兄妹の絆が特に印象的です。
この描写をなぜ特別回でしかできなかったのか思いますが、まぁいいでしょう…