茨城交通の大甕駅西口~常陸太田駅~馬場八幡前 のバスに乗って盲腸線をショートカットしてきました。
水郡線の常陸太田支線はローカル線かつ盲腸線ってことで、関東近郊ながら乗りつぶすには少し難しい路線です。
2005年までは日立電鉄線が常磐線の大甕駅まで走ってました。
両駅間の輸送については現在は、茨城交通が担ってますので、今回はそれに乗ってきました。
大甕(おおみか)駅西口
常陸太田駅行のバスは西口の3番乗り場から出てます。
常磐線の東西自由通路を出ると右手にロータリーがあるので、ちょうど向かい側ってところかな。
いや、大甕駅の(みか)って全然読めないっすわ。
西口にあった案内図。「大みか」になってる。
(写真が下手すぎる。)
12時6分のバスに乗車。乗客は自分入れて6名。
勝手にOD調査したんですが、南高野団地で4人、石名坂下で1人降りていきました。
常陸太田駅までの停留所での乗車はなし。
うーん、1時間に1本とはいえ、なかなか寂しい乗客数です。
常磐道の下をくぐった後の元内(もとうち)バス停
バス停の名称不明。おそらく小沢町付近だったかな。
常陸太田駅とその周辺
常陸太田駅に到着。バスは駅から北進し、税務署や市役所がある中心地のほうまで抜けていきます。
水郡線まで30分弱時間がありましたので、なんか歩いて行けるところに名所旧跡ないかしら、と探したところ、
二本松藩士の墓、なるものを発見。行ってみることにしました。
国道293号線と、茨城県道61号日立笠間線の交差部です。
google mapで検索すれば、この辺りまでは連れてきてくれるんですが、ここから到着が分かりにくく、かなり時間をロスしました。
なんとなく整備されている道を進んでしまい、隧道脇の階段(写真右側)を上がってしまったんですが、このルートでは到着できず…。
図のとおり、普通の坂道を通っていくのが正解です。
普通のお墓の中に藩士のお墓もありますので写真撮影はなんとなく憚られたため撮ってませんが、天狗党の乱の際に二本松藩から防衛に来てて、そこで戦乱に巻き込まれたそう。
二本松藩は幕末期は藩外の戦いに多く動員している印象があり、その苦労が偲ばれます。
帰りの水郡線では、乗り継いだ上菅谷駅でなかなかの人数が水戸行を待っており、ちょっと驚きました。
利用客はどうやら外国人のヤングが多く、みんなで水戸まで買い物に行くのかな~と想像。
私はいつもこのあたりでその自治体の地方議会の議事録を見に行って気になったことを調べたりするんですが、まさかの常陸太田市は会議録検索システムを実装していなかった。
いまどきそんなところあったとは…
と、思ったら隣の那珂市も会議録検索システムを実装していなかった笑