『BANANA FISH』好きな人が好きそうな映画がやっているらしい、ということで夫婦で見に行ってきました。
結論から言うと、『BANANA FISH』が好きな人が好きな映画です。(断言)
もっと詳しく言うと、『BANANA FISH』の最終回後を描いた短編『光の庭』まで読んだファンにおすすめしたい!
『BANANA FISH』ファンが観るべき理由(妻)
自分のせいで亡くなった親友の喪失をどう乗り越えるか。
この映画では、主人公のアレックスは親友ダヴィドとの約束を果たすために手段を選ばず行動します。
ダヴィドの亡骸を見なければ彼の死に納得ができないと、守衛を騙して安置所に入ったり、夜の墓地に不法侵入したり。
恋心が歪んで怒りや悲しみになって、その行き場のないエネルギーが爆発して(常軌を逸したと他者から思われても仕方ないような)行動を起こしました。
彼の死を自分の目で見ないと納得できない。
アレックスと、『光の庭』の英二の違いはここでした。
アレックスはダヴィドの死を認め、その上で墓の上で踊るという約束を果たしました。
思いの強さが行動力に直結しているので、安置所で確認できなかったとしても、墓を暴いてでも確認しようとしたんじゃないかな、と思わせる狂い方でした。
一方、『光の庭』の英二は日本とアメリカという物理的距離によって死を直接確認することができませんでした。
かといって、墓を暴くような非常識さは持ち合わせていなくて、だからこそ『光の庭』という短編で救いが描かれたのでしょう。
『BANANA FISH』ファンが『Summer of 85』を観ることで、『光の庭』の英二がもしアッシュの死を直接確認できていたら、という『もしも』を考えることができるんじゃないかなと思います。
そして、どちらにしても良い結果にはならなかっただろうことを突きつけてくれます。
『運命の相手』理論(夫)
ここからは夫のターン。
大学で「ファムファタル文学」ばかりやってたので、この映画もそれと同じ文脈で観終えました。 ダヴィドは女じゃないけど、運命の相手なのは間違いない。
ファムファタル(運命の女)についてはこちら。
どこが「ファムファタル」なのかちょっとあらすじを書きだしてみましょう。
アレックスは普通な人生を送っていたのに、ダヴィドとの出会いによって生活が一変してしまう。
ダヴィドのミステリアスな容姿・言動に強く惹かれていくアレックス…
二人は「どちらかが先に死んだら残されたほうは墓の上で踊る」という約束を交わす。
段々とアレックスへの愛が依存するかのように重くなってしまい、時に嫉妬に苦しむようになる。その重さにダヴィドは嫌気がさし、二人は破局してしまう。
ダヴィドは死んで、アレックスは二度とダヴィドが手に入らないことにもがき苦しむ。
この太字にしたところが『マノン・レスコー』→『椿姫』ラインのファムファタル要素ですが、もうほとんどソレなんですよね…
夫はこの映画に関して、前情報なしで観に行ったので、もういつアレックスに破滅が訪れるのか怖くてソワソワしながら見ていました。
個人的に好きなのはラストで、物語冒頭で酔いつぶれてたあのアニキとアレックスが仲良くなっていくシーン。
多分アニキは正規ルート上のアレックスの未来の姿ですよね。お父さんが同じく造船場で働いているし。何より二人は似ているからダヴィドに助けてもらえたんでしょうし。
アレックスも最期は死んでしまうんだろうなぁと思っていたんですが、アニキをラストに持ってくることによってダヴィドの死を乗り越えて成長できるんだぞ、という希望を見せてくれたんじゃないでしょうか。
ん?
あのアニキをアレックスの未来の姿だと仮定すると、冒頭でなぜ酔いつぶれていて、なぜダヴィドに助けられたのかも納得がいきませんか?
ダヴィドの死によってアレックスは
墓の上で踊る約束を果たし、社会的な罰を受け、ダヴィドから解放される(正ルート)
約束を果たせず、社会的な罰も受けないため、自暴自棄になっていた(アニキルート)
ということがあるとするならば、自暴自棄になっていた彼は、再びダヴィドによって助けられていた…
なんて考えるとロマンチックですよね。