オタク夫婦の「○○が好き」

30代オタク夫婦の語り場です。漫画・映画の感想がメイン。特撮と世界一初恋とBANANA FISHもアツい。そんな夫婦です。

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映画『桃太郎 海の神兵』感想 日本初のアニメ映画に何を思うか

今年8本目の映画です。

まさかのdアニメストアに入ってたんで思わず観てしまいました。

 

anime.dmkt-sp.jp

 

ネタバレもクソもないので、つらつらと感想を書いていきます。

 

 

作画がすごい

全編通してキャラクターがとにかくよく動きます。

どのぐらい動くのかっていうと、古めのディズニー映画の感じ。この映画だって当然ディズニー映画の影響を受けているでしょうからあのうにょうにょ~ってした動き方が似るのは当然か。

よくあの時期にこのクオリティを出せたなって素直に感心します。すごいよ。

 

 

海軍省が後援なだけあって、冒頭、休暇で地元に帰る兵隊さんたちのセーラー服のカラーのはためき方がハンパない。

そんな気合い入れる必要あるか? ってぐらい動きます。(たぶん陸軍はセーラー服着ないからだろうね)

それと。日章旗は全編を通してよくはためきます。(wikiみたら制作側も意図的に気合を入れていたようです)

 

ちょっとかわいいのが、作画ミスがあって、熊くんの親御さんがお茶を入れるときに急須から流れ落ちるお茶の後ろに湯呑が来てしまっているので、お茶がドバーっとお盆にこぼれてちゃってるところ。

あと、ゆっくり動くものについては作画気合い入ってますが、飛行機が離陸するシーンはうにょうにょ伸び縮みしてた。

 

 

軍記モノとして

九六式陸攻を改造した輸送機が出てきますが、旋回機銃としてルイス機関銃が出てきたりとか細かい。

それとゼロ戦も出てくると思う。でも護衛機なだけなので、別に巴戦やったりしない。

後はお決まりの南部十四年式拳銃? 

輸送機の中で、降下が近づくにつれて、クマくんが腕まくりをする→やっぱり直す→やっぱり腕まくりをする を繰り返してて

「あ~、緊張してるんだな」ってことが伝わってきます。戦後75年が経った私も緊張するときにやりますから、時代も状況も変わってもこれは不変なんだなと感心。

 

 

プロパガンダ映画としてのこの映画

そう、この映画はプロパガンダ映画なんだよ! ゴリゴリの!

伝えたい陽のイメージ

故郷に帰るイヌ・サル・キジ・クマのメンバー。

イヌ・クマは息子として、サルは村のみんなに慕われるお兄ちゃんとして、キジは父親として…それぞれ理想の兵隊さんをやっています。

特におっちょこちょいな弟を助けるサルくんなんかはこのアニメが狙う層の心を鷲掴みしたことでしょう。 

 

南方に進出して、現地の動物、ゾウとかオラウータンなんかと日本の動物が一緒に飛行場を作るシーンなんかは「これぞ僕らが望んだ大東亜共栄圏だ」って感じっすね。

 

ペリカンさんが手紙を前線に運んできて、みんなで「うぉおおー!」って駆け寄るシーン、キジさんが送られてきた子どもの写真を見やるシーンなんかはぐっとくるものがある。

 

後は皆さんも教科書で一度は見たことがあるかと思いますが、兵隊さんがアイウエオを教えるシーンなんかは、プロパガンダにアニメ映画が持っている愉快さが絶妙にミックスしています。

後述しますが、このシーンに時間を割くことによって、この映画にだって本当に伝えたかったことがあるんだ ということを知らせてくれます。

 

陰のイメージ

鬼が島を偵察しに行った兵隊さん3名のうち、無事に帰還できたのは2名で、「死」は常に隣り合わせにあるんだってことを意識させられちゃうんですよね。

割とこのシーンまでは楽しげな場面が続くので、突然の暴力による結果が出てくるのは「小国民よ、そういうことやぞ」って思わせるイヤな仕掛け。

 

桃太郎率いる空挺部隊にボコられて降伏する英語を話す鬼、これもいかにも外国人ですって様相です。喋り方とかも「英米何するものぞ!」って当時息巻いてた世代の溜飲が下がる音がめちゃくちゃしてきます。

ポパイも降伏してたのが面白かった笑

後は、ラストシーンでクマくんの弟とその友達たちが木の上からアメリカ大陸の形をした路上の絵の上に大ジャンプ。

これ、はだしのゲンと同じだ笑

 

オチが弱い

そう、オチが弱いんです。

終盤、桃太郎がなよなよ英語を話す鬼に「ガチのマジでいますぐ降伏しろ!」→「ひえー降伏します」で桃太郎シーン終わり。

ラストは前述のアメリカ大陸の上にジャンプ! 富士山写って終わり!

 

なんかあっけなく終わっちゃう。だからちょっと味気ないかも笑

プロパガンダ映画であるならば、もっと英語をしゃべる鬼から島を解放したぞ! やったー! 支配されていた島民も喜んでる!っていうシーンがあってもよかったのではないかと。

 

でもその偽りのシーンを入れずに、アイウエオの歌を楽しく歌うミュージカルシーンだったり、子どもを想う父親の姿を描くことで、海軍省が求めた尺の長さをクリアしたとするのであれば、再作者側の魂がこもった作品なんだと思える。

 

 

この作品の後に生まれたアニメ作品が日本中、世界中の人を楽しませ、animeを世界の共通語にまで押し上げたからこそ、この歪な目的をもって作られてしまった『桃太郎 海の神兵』を私たちは反面教師としていかなければならないのかな、と思うわけです。

 

やっぱり平和な世の中でアニメを楽しむのがいちばんだね。