今年13作目の映画です。 初スウェーデン映画。
簡単にあらすじをいうと、
父母娘息子の4人でスキーを滑りにきたスウェーデン人一家は、レストランで雪崩に巻き込まれます。
雪崩といっても巻き込まれて人が死ぬとか死なないとかではなくて、スキー場でやっている(と思われる)、人工的に雪崩を起こすことによって、災害につながる流れを防ぐやつですね。
この一家が巻き込まれた雪崩も、結果的には雪がまってきてあたり一面真っ白になっちまった、程度ではあるんですが、
しかし雪崩のすごいすごくないなんて素人にはわかるはずもなく。
レストランにいた人たちも「うおー、すげえぞ」なんて言ってスマホを構える余裕があったものの、近づいてきたらパニックになってしまいます。
子どもをかばう母親をしり目に、父親が逃げてしまい…ってところからこの物語はスタート。
一言で感想をいうなら、「岩波ホールでやってそう」映画です。
あのなんていうんでしょうね、見終わった後にみんなが無言で(岩波ホールは決して盛り上がれるパッションにあふれた映画は放映しないので)エレベーターを待っている感じ。そんな感じです。
以下ネタバレ有り
家族の役割について考える(1)
先日見た映画、『国際市場で逢いましょう』もそうでしたが、この作品も家族のなかにおけるそれぞれの役割ってなんだろう? ってのがテーマです。
父親なら命を危険を感じたら逃げ出さずに子どもを守るべきなのか
母親なら逃げ出さないのか?
家族であればAでるのか、Bであるのか? ということは、古今東西、その国や民族の習慣により差異はあれど、家族における役割というものは存在するでしょう。
そして、家族という社会の最小単位を形成する集団に属したことのある人であれば、誰かが不文律ながらもそれに背いてしまった時の気まずさを一度は感じ取ったことがあるでしょう。
また、物語には父・母 それぞれの友人が「家族」ではない集まりに属しています。
母の友人は、不倫? 別にいいじゃん 的なポジション。
父の友人は、パートナーはいるも、まだ結婚はしていない、自由なポジション。
家族ある2人と、「家族」ではない2人。
さらに、不倫については、2回映画で出てきて、特に2度目、母が電話で友人と会話するシーンで登場するのですが、その場面ではすでに両者の関係がかなりぎくしゃくしていたので、父親は動揺します。
懺悔するように泣きじゃくる父親。またカッコ悪いことに、子どもにそれを見られてしまうのですが、父親が弱さを見せることで、雨降って地固まるじゃないですが、
一旦問題が終結したように思えます。
最後の家族でのスキーは
母親が他3人とはぐれてしまう、父親助けに行く。無事に見つかる。
よかった~ スキー終わり。
ってシーンがあるんですが、
これ、父母での共謀シーンだと思いませんか?
先述のとおり、ちょっと父母としては恥ずかしいシーンを子どもたちに見せてしまったところで、「家族」としては、元に戻るべき何かが必要だった、それがこの一芝居だったんじゃねえかな~と思います。
家族の役割について考える(2)
ラスト、街へ戻るシーンで九十九折を下るバスの運転手さんが下手くそすぎて、母親が「ここで降りるからドアを開けてくれ!!」と運転手に詰め寄ります。
結局それに連れられて家族も、そして十何人かの同じように危ないな、と思った人(父の友人含む)もバスを降ります。
このシーンでは母親が率先してバスから出ようとするんですね。
「やっぱり結局はみんな自分が大事なんだよな!」(ということを受け止めて皆が生きていくしかないのだ)
ともいえますし
「危険をいち早く察知した母親はやっぱり偉い!」
ともいえるでしょうね。
さて、どちらでしょう?
雪崩の映画
この映画は名実ともに雪崩の映画です。
雪崩の最初の一歩がおそらくは少しの雪のバランスが崩れて、やがて大きなものへ姿を変えていくように、この家族も父親が家族を放り出して一目散で逃げた、という小さなひずみが、家族の在り方を揺るがす事態へと発展していきます。
雪山で雪崩が起きた後の山に残るのもまた、雪です。
何かが大きく動いた、色々なものが変わっているはずだ。でも、その姿は変わっていないようにみえる。
まさにこの映画は雪崩の映画と言えるでしょう。