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『機動戦士ガンダム 水星の魔女』第3話「グエルのプライド」感想 僕らにとって戦争は非現実的か

 

家で妻と3話の感想どんなん書こうかね~なんて話をしていたときに、

「親(大人)に抑圧されたのがガンダムらしさではないか」

という話を妻がしました。

 

 

 

ガンダムは親(大人)を乗り越える話なのか

TVシリーズのガンダムがジュブナイル向けの作品であるのは間違いなくて、であるからして大人への反発と承認欲求が物語のキーの一つになることはあったとしても、それは「ガンダム」を構成する一つではない、と個人的に考えます。

 

宇宙世紀シリーズの主人公たちとその親(または大人)の関係は決して良好な関係とは言えないですが、(アムロもカミーユもジュドーも)

それは宇宙世紀シリーズが富野由悠季作品であるからそうなのであって、実際には親が出てきてすぐ死ぬ『イデオン』や親と対立する『ダンバイン』『ブレンパワード』の文脈で語られるべきなのかなと。

 

ガンダムに乗る世代、中学生~高校生ぐらいの青少年たちと親(大人)との関係においては、親に認められたい「承認欲求」との闘いが内面ではあると思います。

それが暴走すると暴走は、まさに『OO』の刹那とサーシェスの関係がそれにあたるのかな。

(余談ですが、いつも放送後にトレンドに上がってくるコーラサワーもすごいよね)

 

『水星の魔女』では認められたい子どもと認めない親の生々しさがよく描かれています。

ミオリネの父も、グエルの父も家族のために自分の子ども承認欲求をうまく利用して、子どもたちを犠牲にしている感はやるせないですね。

スレッタの母で多分仮面の女、プロスペラの正体(すっとぼけ)も、実は子どもを利用して復讐を企てているでしょうからね。

 

概念的なジュブナイル作品としての『ガンダム』と『水星の魔女』の対比

 

すげー大味な捉え方ですが、

抑圧→解放→成長 という作品における人物の成長パターンがあるとします。

1stでいえば、

アムロ急に戦争に巻き込まれる→WBでの生活の中で自分を確立していく→「ごめんよ、まだ僕には帰れる所があるんだ。こんな嬉しいことはない。」

みたいな。

 

2話の感想から引っ張りますが、制作側が危惧している「ガンダムを若者の手に取り戻す」ですが、「戦争」というシカケは良くも悪くも身近に捉えられない題材になってしまったのではないかと感じます。

(今でこそウクライナで戦争がありますが、企画段階ではそんな話は全くなかったでしょう)

戦争という、突如抗えない大きな力に翻弄されていくというシカケを戦争なしで再現しようとした結果、学園もので決闘を主軸に持ってくるってところですかね。

 

学園ものの定番の枠型である、「なんか強大な力を生徒会的なものが持っている」という不自然だなと思いつつみんなが受け入れて楽しんでいるシカケですが、

「その裏では親の権力や生徒の出自が権力の構築に大きくかかわっているのだ!」となるとなるほどな~ と思えます。

(そもそもスペースコロニーとかでっかいロボットとか世の中にはないんだゾ、という虚構(大)の話を受け入れていると、強大な力を持っている生徒会という虚構が小さく見えるので、あんまり不思議に思わないってのもあるかも)

 

グエルのプライド

グエルくん、最初はイキってて嫌な奴だな~って感じでしたけど、頼りにされてないからAIに操縦させられたり、対ビーム用のスプリンクラー作動させられてりしてかわいそうなキャラクターでした。

このジェットコースターなキャラクターから受ける印象、嫌いじゃないです。

 

グエルくんからも求婚されて、「逆ハーレムだ~!」みたいな話になってますが、こういう要素を組み込んでいくのも必要なんでしょうね。

現時点ではこういった要素はどっちでも、な私ですが「硬派なガンダム」が実際はそこまで求められていなかった前例から考えると新機軸をどんどん取り入れていったほうがよいでしょう。

やっぱガンダムはいろんな人のガンダムであってほしいですからね。

 

 

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