見て
dアニメすげえわ。 『劇ナデ』も同時に配信始まったし。『スパロボT』のおかげかな?
これ、DVDレンタルなかなか置いてなくて、みるの大変だったんですよね。
『ペールゼンファイルズ』はどこいっても置いてあるのに。
そりゃあペールゼンファイルズのほうが面白いからとわかってはいるんです。
ATぬるぬる動くし、話が動的だし、キリコの本質にたどり着くし。劇場版にするぐらいのアニメ的楽しさあるし。
『赫奕たる異端』は、どっちかっていうと、ロードムービー的な色合いを濃く出した感じでしょうか。
「ウド」「クメン」「サンサ」「クエント」と本編が続いてきて、実際クエント編になって「サンサ編面白すぎたから、実際クエント編物足りないよな」ってみんなも思ったと思うんですよ。
その物足りなさが続くような感じが、『赫奕たる異端』
こんな風に書いたらだれも見ないじゃないか! って?
『星を継ぐもの』の第四作目、『内なる宇宙』も単体で見たら正味おもんない作品でしたけど、
- 作者: ジェイムズ・P・ホーガン,James P. Hogan,池央耿
- 出版社/メーカー: 東京創元社
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それでもシリーズ作品としての土台があったから追うわけであってぇ…(雑)
いやいや、そういう、下駄履かせてもらってたから見られる っていうのとは違うんですよ!!
『装甲騎兵ボトムズ』は(現代)ロボットアニメのアンチテーゼとして祭り上げられてしまっている
高橋監督は『赫奕たる異端』、乗る気じゃなかったってwikiにも書いてありましたけど、それでもボトムズシリーズとしては外せないと思うんですよね。
「フィアナ亡き後のキリコはどう行きていくべきか?」を語るにあたり、フィアナ喪失を迎えるこの作品は外せないわけです。(実際作品としては『孤影再び』『幻影編』として続いてしまっているし)
『野望のルーツ』で兵士として戦いを定められたキリコが、本編でおやっさんたちとの交流や、フィアナとの愛を育むことでそれまでとは違う戦う理由を見つけ戦い始めて、『赫奕たる異端』でその戦う理由が頂点にたどり着くわけですよ。
「最低野郎」としての戦いとはちょうど反対の位置に座標があるからこそ、「物足りなさ」が出ちゃうのかなぁと。
キリコは本編では人間らしさの獲得を望まれながらも、我々は『最低野郎』としての物語を追い求めちゃう性がありますよね。
というのも、常に『ボトムズ』は『ガンダム』との対比で語られてきた文脈があるからだと思います。
結局、(最近のガンダムに限らずではあるでしょうけども)ロボットアニメにおいて描かれて続けてきた「不殺」とか「平和」、ある種説教的なストーリー展開や、「キャラクターの外見の良さ」(それは時代の流れとはいえ)というところに窮屈さを感じているのではないでしょうか。
そして近年ロボットアニメも冒険できなくなってきている、当たり障りのない内容にせざるを得ないのもまたわかっているんです。(納得できてないけど)
だからこそ『0083 stardust memory』は30年経って、新作がどんどん出ていても人気だし、『鉄血のオルフェンズ』第1期は特に序盤のストーリー展開、主人公のキャラクターは
放送当時「これが俺たちの求めていたロボットアニメなんや!!」と目をキラキラさせてみんな言っていたと思います。
そういった点では、『赫奕たる異端』というのは、キリコがフィアナを求めて戦うという作品のシナリオは、それがボトムズの続きとしては正当な流れだとしても「ボトムズ」としては求められてないってところに、この作品の冷遇さの理由があるのかなと。
加えて、『装甲騎兵ボトムズ』は、伝説的扱いでロボットアニメ好きなら見て必修中の必修と謳われながらも、ガンダムシリーズに比べて新規参入しづらいですよね。
少しかじろうにもどの作品も繋がっていてTVシリーズ全話視聴が最低条件だし。
けれども「むせる」アニメを見たいんだ! っていう最低野郎たちがくらいついてきて、だからこそ、『赫奕たる異端』までたどり着いた人たちにとってよけいそう感じさせるのかもしれません。
ここでホーガンの『内なる宇宙』に戻りますが、あれもSFとしては決してありきたりな内容ではないにも関わらず、「いや、俺たちがダンチェッカー博士に求めてたのはこれじゃねえからな…」という微妙な評価を誰もが持ってしまうという悲しみ。
でもテイタニア(カツラ装備)はかわいいから見て