今年7作目の映画です。
ちょっとこの4月はイオンシネマのワタシアター割引使うの厳しそうですねぇ。
友人の勧めで、台湾映画を初めて見ました。
山田裕貴と齋藤飛鳥が主演で18年に日本でもリメイクされてるぐらいなので、かなり人気が高かったんだな~って。
以下感想。9年も前の映画なので今更ネタバレもクソもないと思いますが、ネタバレありです。
「男子」のための映画
登下校で、教室で、掃除の時間にふざけあう男子たち。
学校ものならなんだってそうだと思うんですが、国を越えても「学生生活のあの瞬間」という普遍的イメージは共有できるものですね。
特にミシェル・チェン演じる沈佳宜(チアイー)の絶妙なかわいさ、まさに「クラスのマドンナ」ってのがいいですね。
スーパーかわいい!! かわいいー! ってほどじゃないところがいい。
この映画のときに、25歳ぐらい…女子高生やってても違和感ねぇ…
作中では学校を卒業し、大学生になるんですが、
それでも喧嘩大会(ルールはドラゴンボールの天下一武道会と同じ)をいきなり開いて見せたり、
寮の同部屋でみんなで日本のDVD(意味深)を見たり…
「男子」は永遠に「男子」なんだよなぁと改めて思いました。
話ずれますけど、台湾でも我々と同じように『スラムダンク』読んだり、日本のDVD(意味深)みたりしてたもんですね。
付き合う前までのデートが一番楽しい
これ、わかりますよね?
付き合ってはいないが二人きりで遊びに行ける という状況の良さ。
二人きりで遊びに行けるということは好意が一定数以上あるという明確さ、
でも、付き合ってはいないという不確定さ
いや~、またしたい(叶わぬ想い)
「あそこでああすりゃよかったな映画」
これもみんなそうだと思うんですけど、(そうじゃない人はみんなに含まれてない)多くの人は恋愛において
「あそこでああすりゃよかったな」ってあるじゃないですか。
ちょっと前に大流行した『LA・LA・LAND』や、
イアン・マキューアンの小説が原作の『追憶』も
「あ~あ、あそこでああすりゃよかったな」が物語の主軸で、「あそこ」の重力に引かれて浮上できずに腐っていく映画なんですが、
この映画は「あそこでああすりゃよかったな映画」でありながら、
主人公が不幸エンドでないところが好きです。
付き合っていないので、フラれたとかそういうのじゃないから(震え声)というのもあると思いますが、
お互いにベターな「今」を生きていられているよね、ってのを主人公たちがなんとなく共有しているのが好きです。
大地震(台湾では921大地震と呼称するようです)があったときに、主人公がヒロインに電話をします。
フラれた後、2年ぐらい連絡を取っていなかったというものの、その会話は妙にあっさりとした印象を持ちました。
私としてはこのシーンが一番ひっかかりました。
あれだけヒロインのこと好きだったのに…
これ、ヒロインに彼氏ができたかできてないかに突っ込まない主人公は、既に新しい彼氏がいることを(友人伝い)に知っていたのではないか?
この電話のやり取りの中で「パラレルワールド」の話をします。
結局はここで、もはや主人公はヒロインと付き合うことが不可能、可能性があるとしたらパラレルワールドという非現実的な空間の中ででしかできないということを悟っていたんだろうなぁ、と。
いつまでが過去(あの頃)で、いつからが現在進行形の今なのか、その境目がまさに地震があった日の夜だったのではないでしょうか。
まとめ・他感想
「好」 これが彼女の答えだったのになぁ~~~~
空に飛んで行ったランタンよさらば。
学校は遠くになりにけり、な今日ではありますが、表立って外出できない鬱屈な気分が晴れる映画でした。
アマプラやいろんな媒体でも見られるので、ぜひ。
他にも台湾映画見てみたいな~