今年12作目の映画です。アマゾンプライムで視聴。
初韓国映画かもしれません。
韓国ドラマは『アイリス』とかが流行ったときに母親と一緒に色々と観てました。
泣けます。(直球)
ネタバレありのありなので、注意してね。
愛国映画か、ある人の一生か(1)
冒頭の朝鮮戦争での興南撤退作戦(英語版wiki見るとクリスマスの奇跡と呼ばれてるっぽいっすね)のことは全く知りませんでした。
おっ、創作か? と思ったんですけど、単に私が知らなかっただけで割とインパクトのある話でした。
朝鮮戦争と言えば、日本ではF-86 VS MiG-15のミグ回廊のほうが有名?
いずれにせよ歴史的背景から朝鮮戦争自体が日本では触れにくいものであるんですが、歴史的場面場面に主人公を立ち会わせストーリーを形作っていく今作にとって、
この場面を冒頭に持ってくるというのは、韓国の歴史でこの興南撤退作戦が重要な1ページであることは間違いないでしょう。
また、韓国が西独への労働者を派遣していた、というのも全く知らない情報でした。
このブログを書くにあたり、「韓国 西ドイツ 派遣」なんてワードで調べたら東亜日報の記事が出てきました。
産業化時代、ドイツやベトナム、中東に行ってきた若い韓国人らは、すでに50〜70代となった。最下位圏の後進国から中進国を経て、先進国の入口まで走ってきた現代史を、頭だけでなく体で知っている世代であり、個人と共に国を考える気持ちが強い。経済的産業化や政治的民主化を達成した後、わが社会の一部から現れた退行的左傾化を食い止めてきた主役らでもある。暗い情熱に嵌って、大韓民国の達成を貶める人たちも、彼らの貢献を否定するのは難しいだろう。私は、50代以上の韓国人らを「偉大な世代」と呼びたい。
(上記リンクから引用。太字はこちらで設定したもの)
政治的中立派の新聞(wiki調べ)の東亜日報ですらこの論調なわけですから、
西独派遣の悔しさが、「偉大な世代」の原動力だったことが伺える内容です。
ベトナムへの韓国軍派遣に関する詳細はベトナム戦争へのwikiを見てくれ って感じで。
こういった苦しい経験を一人の韓国人の目線から見ていくことで、
「大変だったけどだからこそ今があるんだよな!」という気持ちから
劇中で言えば西独へ渡る際の面接で国歌を歌いだすような高揚感に包まれるのか・・・?
いやいや、この映画はそういうやつじゃない!
父が別れ際に放った「お前が家長となって家族を守っていけ」という言葉は、あのすさまじい状況下、そして妹を守り切れなかったという十字架を背負い続けることになった主人公には、老後までその身を縛り続ける呪いとしては十分すぎるものでした。
家長として「ねばならない」から抜け出せなかった、
恐らくは、韓国人が「良くも悪くも」として何世代も背負ってきた国民的価値観であり、今日においては脱出していかなければならないと認知されている価値観なのでしょう。
これは隣国日本に置き換えれば高度経済成長期からずっと背負ってきた「24時間働けますか」が功罪を背負っている日本人の国民的な価値観である(と認めざるをえない)のと同じだと思います。
印象的なシーンがあります。
ベトナムに行くことを決めた主人公に行かないでくれと妻が迫る広場でのシーン。
国旗への敬意を示すことで妻にその秘められた決意が伝わります。
妻もためらいながらも主人公に倣い、国旗へ敬意を払います。
前述した価値観の犠牲になってきた女性の悲しさをしっかりと描かれています。
ただの愛国映画であれば、
行かないで、と言われている…どうしよ…(国歌流れる)
いや、ワイもしっかり国民として務めを果たすんや!! 勇気出た!
てな感じで、このシーンに妻を入れずにすますことだっていくらでもできたはずです。
だからこそ、この映画は少なくとも狭義の愛国映画ではない、と言い切ることができると思います。
唯一無二の親友、チョン・ダルグ
少年時代から渡独、渡越、そして現代に至るまで常に一緒だった親友のチョン・ダルク、コメディパート担当であり、すんごいよい役回りでした。
彼が唯一無二であるのは、親友というだけではなく、
主人公にとって自分が守らなくてもよい唯一の存在だった
ことは大きいと思います。
主人公にとって、母から妹弟、妻に子どもと、この物語に出てくる人は家長としてすべて守らなければいけない存在です。ゆえに主人公は"家長人間"なのですが、
チョン・ダルグがいてくれるからこそ、主人公が決して家長人間だけではないことを明示してくれています。
愛国映画か、ある人の一生か(2)
ラストシーン、海を見つめる主人公と妻。
主人公の「なぜ自分と結婚したのか」という問いかけに対し
「愛してるから」と答えます。
愛している。映画が2時間かけて語ってきた「家長であること」や「韓国人であること」ということをこの一言で吹き飛ばしてくれます。
人と人との明快かつ最も重要な「愛」という言葉をもって主人公が一人の人間であることを示し、映画が終わります。
その直前で父と再会するシーンがあります。
その場面だけでもいい場面ではあるのですが、前述のラストがあることで、「家長であれ」という呪縛からの解放だけではなく、
そこに「親子の愛」があったといえるのではないでしょうか。
その他
ドイツで二人で食べた鍋が人生で一番おいしいやつでしょ。