今年40本目の映画です。公開初日に観てきました。
能年玲奈(のん)が主演で、橋本愛とあまちゃん以来の競演ということで、劇場へ足を運んでみました。
のん演じるみつ子(31)は独身で脳内に住むAを相談役として、日々のおひとり様ライフを過ごす…てなお話です。
あらすじは公式HPで確認してね。
先に言っておきたいのは、この映画は語れる映画だということですね。
決して のんかわいい~!で終わる映画ではないです。
ネタバレありの感想。
重力に魂を引かれた人たちの悩み
みつ子はおひとり様ライフ楽しんでるんですけど、現代社会においておひとり様を楽しみ続けるのは未だに難しい。
ただ、局地的におひとり様でいられるのは前よりも全然ハードル下がってますよね。ヒトカラは当然だし、一人焼肉もこないだ池袋でクッソ並んでるの見ましたし。
しかし、他者から見るとおひとり様である人の評価ってまだ「寂しそう」ってのがついて回ってます。(みつ子自身もおひとり様ライフを楽しみながら時折他者から見られる自分を皮肉ったりしてる)
丁度この映画を観に行った前後に「友人のメンテをしていなかったので、アラサーで(独りになって)詰んだ」って増田あたりで見ましたが、
みつ子も彼女の性格から考えるに、イタリアに嫁いでいった皐月しか心許せる友達がいなく、結果「おひとり様」になったのかなぁと。
皐月もまた、「おひとり様」
イタリアで夫とその家族に囲まれて暮らしてはいますけど、やはり彼女はまだ異邦人であることに変わりない。彼女はカフェの先へ踏み出せないことが、自身が異邦人であることを証明しています。
バリキャリ澤田とみつ子たち
登場当初は警戒されていた他社から引き抜かれたデキる女上司、澤田。
警戒しながらも、デスクではヒールを脱いで仕事をしている場面に目がいくところがよかったですね。「あ、バリキャリ上司はすきがないわけではないんだ」と気づいた瞬間。
彼女が既婚者であることを知ったみつ子たちががっかりするシーン、
「デキる上司は独身でいてほしかった」という気持ちが読み取れました。
おひとり様でい続けるためには、一人で生き抜かなければいけないという暗黙の認識があると思うんですが、
その理想が当初の澤田で、「こちとらお局として生きてんだよ!」と自認してるあたり、みつ子もやはり「デキる女上司」を目指していたかった。(それがおひとり様でいつづけられる世間に対する通行手形)
HPにもありますが、
「昔、ひとりでヨーロッパまわったんだけどさ、列車で。」
と澤田がイタリアの皐月の元から帰ってきたみつ子に話す場面、なんてことない場面の一つではあるんですけど、救いのある言葉だなと思っていて、
みつ子にとっても皐月にとっても「ひとり」で「ヨーロッパ」をまわっても、ここ(澤田自身の今の社会的ポジション、とでもしておきましょうか)にたどり着ける」ことを暗示させるんじゃないかなと思います。
カーテンレールに干された下着について
みつ子の部屋、玄関から真正面のカーテンレールに干された、(みつ子の性格からすれば)派手な下着。
あれってどんな意味があったと思いますか?
我が家では、あの位置の意味についてで分かれました。
意味1
派手な下着は、みつ子の内面のメタファーで、玄関から室内の見える位置に置くことは、彼女の内面を誰かに見てほしいという意思の表れでもあった。
→多田君が家に上がってくることで、彼が内面を見てくれるようになってからはあの位置に干さなくなった。
意味2
人目に付くような場所に干すというのは、自分の家には異性があがってこない、自分はそういふうに見られる存在ではない。玄関から見られる場所にあえて置くことで、自分は性的消費の対象ではないということを明示させている。
→歯医者やセクハラ親父など、みつ子には封印したい嫌な過去があった。
多田君と「A」
無事に付き合い初めて、多田君に最初に迫られる後のシーンは、この映画にぐっと引き込まれる迫力ある場面です。
自身が性的にみられる対象であることを突き付けられたみつ子がAと出会うわけですが、Aって声はイケメンでも姿は別にイケメンではないですよね。
イケメンでないことは、パートナーを選ぶときの評価基準が顔ではない、という彼女の気持ちの具現化です。
そして、多田君はみつ子のことをしっかりと考えてくれ、無理強いをせず立ち止まってくれる人間でした。
彼女を尊重してくれる人が現れて、その役割を担っていたAはいなくなった、ってところですかね。
(番外)能年玲奈(のん)と橋本愛
祭魚に役者さんに触れます。
みつ子の持つ内面の狂気さって、のんが演じるからこそリアルさが出てるなって思うんです。それは13年の朝ドラ、『あまちゃん』で半年間彼女の持つ力に魅了されてきたからこそ感じるところがあります。
そして、のんが演じるのであれば、みつ子の親友は橋本愛以外演じられないといっても過言ではないでしょう。
彼女の勝気なイメージ、そのイメージが観る側に多かれ少なかれ事前にインプットされているからこそ、皐月のイタリアでの孤独感が一層濃く描かれて見えます。
「あまちゃん」は本当に面白かったです。
あの時はちょうど私生活でもまま大変な時期だったので、毎日の15分が心を躍らせる唯一無二の時間でした。
正直言って、今主演ののんの芸能界での立場ってちょっとキツい状況だと思います。
この映画もテレビで取り上げられないでしょう、おそらく。
そんな状況だからこそ、この映画を観ることで、そしてこうやって感想のブログを書くことで、ここにも応援してる人がいるぞー! っていう、恩返しじゃないですけど、意思表示をしていきたいと思います。
本当はもっと語りたいことあるんですが、ちょっと長くなりすぎるのでここまでにしておきます笑