オタク夫婦の「○○が好き」

30代オタク夫婦の語り場です。漫画・映画の感想がメイン。特撮と世界一初恋とBANANA FISHもアツい。そんな夫婦です。

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映画『熱のあとに』感想 あとに来るものは適温か、あるいは冷めたものか

武蔵野館で24年2月から公開されている『熱のあとに』を観てきました。


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実際の事件からインスピレーションを受けて作成された映画ということで、当時あの写真を見て衝撃を受けた人はいると思います。(画像検索してもう一度見ようと思ったけど、少なくともgoogleでは簡単に見つからなかった)

 

卒業論文で「ファムファタル文学」を取り上げようかと思ったぐらい

この「運命の人」に関する物語好き+橋本愛の大ファンなので見なきゃ、と思いまして。

 

全体的な感想としては、久しぶりに「自ら考察を入れて完成させる映画」を観れたなぁと。

この映画、映ってるものだけで消化しようとすると「説明不足」としてしか消化しきれず終わっちゃうんですよね。

「ファッ?!」ってシーンが何度もあるんですけど、別にぶっ飛び展開であることは全くなくて、自分で納得できる映画のピースを当て込んでいかないとダメな映画です。

 

 

見終わった人向けの感想になりますので、観てない人はネタバレって思うかもしれないので見ないでね。

 

 

 

異例すぎる存在、隣人の足立

自分の中では隣人の足立(演:木竜麻生)の存在が面白かったです。

特に健太に対する足立の距離感の近さって、こいつらできてるんじゃないか? ってミスリードを誘う感じだったので、まんまと騙されました。

足立が猟銃もって自分の正体を明かすシーンはぞくっとして、この映画がどこに着地するのかもうわからんぞ……と。

 

「ホストの幻影に苦しむ女の話」だろう、と思っていましたから(『マノン・レスコー』とか、『椿姫』で主人公の独白シーン的なね)

それまではジェットコースターで上り坂を上がっている感じで、

「もう少ししたら悲鳴を上げるタイミングがくるんだ」って思ってたんです。

当然、お話としては定番の流れである

主人公が「運命の人」が別の人間と関係性を持っているんじゃないか、と気を病んで発狂しかける

がいつきてもいいぞ! と思ってたところに、

自身の中では新ジャンルの、運命の人と結婚した人物が出てくるとは思わなかった笑

運命の人に悩まされる立場の人がなぜ”エモい”かといえば、運命の人が誰のものにもならなかったからゆえなんですよね。(『椿姫』も最初に死んじゃうことがわかるし)

結婚という愛の証明の世俗的な最終体形を取れない間柄だからこそ、運命の人に対する異常な愛は運命的な(非現実的な)存在であって、

婚姻届出して結婚しました~ しかも子どももおりますわよ~ は

「運命でもなんでもねえよ!」と大声で叫びたくなってしまいます。

 

・・・振り返れば、足立の初登場シーンでの「罠にかけようとしたら自分も罠にはまった」という台詞も示唆的ですよね。

 

 

 

 

 

健太も駆け落ちするシーン

防御反応というのか、沙苗に対する当てつけというのか、健太が理由もなく駆け落ちするのは面白かったですね。

100%純度の高いぽっと出後輩キャラに刺されるのよくないですか。

後輩キャラがなぜ健太を刺したのか?

自分の時は後に続いてくれるんだよね? と聞いておきながら逃げたことに対する恨みなのか

それとも駆け落ちするほどの愛に対する沙苗と同じ愛情表現なのか。

 

実際のところ、隼人から見た沙苗のことも、この後輩同様に「急になんなんだコイツ」ぐらいだったんじゃないかと思いますよ。

社長をはじめ職場の人間に好意的に受け止められている健太も後輩に対しては、分け隔てなく他者に優しさを示せる(沙苗談)の隼人が沙苗に見せた優しさのようにone of themだったんじゃないかなぁ。

 

 

プラネタリウムのシーン

プラネタリウムのシーン、沙苗が必死に隼人に対して自分の愛を語っているのに少女の声で「静かにしろ」とか「なんか怖いこと言ってる……」とちゃちゃが入るのがいいですね。

これもやっぱりファムファタル文学では、その独白というのはある種の尊さを帯びているもんなんですけど、

途中、健太が沙苗に「お前が語る愛ってそんな立派なもんじゃねえぞ!」と叫ぶシーンがありますが、正にそのとおりで、沙苗が自分の人生をかけて語る愛なんていうのは、他人からすればノイズの一つでしかないんですよね。

この通例外しはマジで勉強になりました。

 

そもそも、あの少女とお母さんというのは実在していたんでしょうか?

沙苗自身の中にいる「真っ当な自分」の声ではなかったのではないでしょうか。

 

 

あそこで初めて、ワンカットだけこの物語の爆心地である隼人が映るわけですが、一言も台詞がないのがいいですね。

隼人がどう思っているかってのは、もはやここまで物事が進行すればその真意を知ること自体にはなんの意味もないんだよ~ん、ということを示しているのかもしれないし、

過去の人間からの言葉は現在の私にはもはや届かないのだ、と早苗まで彼の言葉が届かない距離や壁があったのかもしれません。

 

 

引かれたサイドブレーキの意味

ラストシーンで沙苗がサイドブレーキを引いたところで物語は終わりますが、

皆さんはあれをどう捉えましたか?

自身はあれは沙苗が自身で暴走を止める意思の表示なのかと思いました。

車はフットブレーキでは完全に停止しませんからね。足を離せばまた進んでしまう。

サイドブレーキを引くという行為を自ら選んだということは、沙苗自身に止まるつもりがあったんだと思います。

私としては、明るい未来を、いや、現時点では沙苗のいる場所は日がほとんど差し込んでいないような場所かもしれませんが、そんな未来へ進むための完全なる停止を選べたのではないかと感じました。

 

 

自分の考察を入れた上で、じゃあどうだったんだろう、

二回目見ると気づくことはあるだろうか、

なんて思うんですけど、でも内容がハードだから時間をおかないともう一度観たくはないかも…笑

いつかもう一度観る時のために、このブログを備忘録として残しておきます 笑