二週間ぶりのブログ更新になってしまいました。
ちょっと更新サボるとアクセス数はぐっと減ってしまいますね。反省。
さて、本題。
ダンバインは10年ぐらい前に見てバーン・バニングスの速水奨に痺れたので、今でも「力と狡猾さだ!!」とか言ったりします。
そのあとACE2やって、ナナジン使ったり使わなかったりしてゲームは満足したんですが(3はやらなかった)
令和になってやっと『リーンの翼』を見ました。
三行感想だと
富野節炸裂してて、気持ちいいな〜 って笑
以下感想です。ネタバレもあり
いきなりジェットコースター展開
wikipediaで見たんですが、小説版の一部が映像化しましたよ って感じなので、初見はかなりキツいと思います。妻は全6話ぶっ通しでポカーンとして見てたと思います笑
『ダンバイン』の知識で役に立つのは「オーラロード」「聖戦士」「妖精フェラリオ」ぐらいですが、それも特段ダンバインと繋がりがあるわけではないので、自分もほとんど初見。
オーラ力が極まってサコミズ王のオウカオーがハイパー化(巨大化)したりしますが、「ハイパー化」という言葉はなしなので、気合い入れてみないと置いてかれちゃいますね。
オーラロードが開き、地上界(我々の世界)にバイストンウェルの軍勢が現れ、そして主人公が巻き込まれ、バイストンウェルへ。
バイストンウェルでの戦いをきっかけに再度地上へ・・・
てな感じがおおざっぱな話ですが、特に用語が怒涛のように流れてきますから、全6話でぎゅうぎゅうにこの話を詰め込むので気合いを入れて見ないと置いてかれちゃいます。(2回目)
でもまぁ、OVA作品ってこんなもんですよね?
富野作品らしく親との確執
ガンダムのアムロから始まり、ダンバインのショウ・ザマもそうでしたが親との確執が『リーンの翼』にもあります。
主人公エイサップ・鈴木は在日米軍の父と日本人の母という間で、そしてヒロインのリュクスは異世界人(日本人)の父と、後妻の間にいるという感じ。
ただしこの仕掛けについては、話数が少ないのであまり深く感じることできずに終わってしまいます。
主人公とサコミズ王が昭和20年から現代へ時を渡っていくシーンで、自分が生まれる前の父と母の姿を見かけるわけですが、
この物語での「生」ってのはこのシーンと、バイストンウェルで花の中から赤ちゃんが生まれるシーンしかないので、たとえボリューム不足が否めないとしても必要なシーンだったと思います。
特攻兵の生き残りは現代で何を思うか
ライバル(小説版の主人公)であるサコミズ王は沖縄戦で桜花で出撃したものの、死ぬ間際でオーラロードに飲み込まれて転生します。
この辺りの描写ももっとくっきりと描かれてもよかったのかなと思いますが。
サコミズ王は昭和20年に死んで、そのままずっといわばさまよっているわけですね。
主人公とB29による東京大空襲、沖縄戦、原爆投下のシーンを目の当たりにするわけです。子供も老人も、女学生も戦に巻き込まれていく「死」をただただ目の当たりにするしかない。その最後に上で書いた主人公の父と母のシーンがあるのですが、
そこが生きてくるのかなと思います。
"日本を植民地にした"アメリカと日本の間に生まれた命が、彷徨い生きながらえているサコミズ王を止めるわけですから「生」と「死」という対比は描かれていると思います。
東京駅に躓いたサコミズ王の乗るオウカオーが皇居前広場に着陸し天皇について言及するシーンがあります。
こういう「戦中と現代」のタイムスリップもの(超大雑把なくくりですが)で宮城の中の存在が語られることってほとんどないですよね?
そこに富野監督のライフワークとするバイストンウェルの物語で語られることの意味があると思います。
ただし、これまた大雑把に言えば富野監督が戦争に対してどういう想いを我々に読み取らせたかったのかは、wikiみる限りは小説も追わないとだめっぽいんで言及できませんが・・・
最後に
富野作品全部見てるわけではないですけど、アニメ版『リーンの翼』は監督の思想を覗くに当たって避けられない作品かなと思います。
何に例えたらいいかな、文豪の作品にも長編と長編の間にある短編に色濃くその人物を感じることができるやつあるじゃないですか、あんな感じですかね。