今年32本目の映画です。 武蔵野館にて鑑賞。
たまたま平日休みが取れたので、映画見てくるかな~なんてノリで岩波ホールとかアップリンクとかのHPを見てたら、ちょうどいい時間にやってたので観に行きました、
っていうぐらい映画に関しての前情報なし。
アラム・ハチャトゥリアン自身の立ち位置はもちろん、(永六輔が土曜ワイドの中でシベリアで一度会った話をしてたのは覚えてた)
「剣の舞」がバレエ『ガイーヌ』の曲で、というか『ガイーヌ』自体も全く知りませんでしたが、
そんな私でも十分楽しめる映画でした。
以下、ネタバレありの感想、というか印象に残ったシーン。
音楽と戦争
病院を退院した兵士たちが「これからすぐに戦場に戻るんだからちょっとぐらい見せてくれや! と劇場の受付のおばちゃんに詰め寄るシーン。
受付のおばちゃんの「スケジュール変わったんで仕方ねえだろ。終戦後に来いよ」
とんでもなく雑に追い返そうとするこの台詞。めちゃくちゃ笑
主人公アラムが機転を利かせてリハーサルを見せてもらることになったのでよかったものの、
その場面の最後、バレエの音楽がフェードアウトしていき、銃声や怒号にBGMが変わっていくのがこれまた印象的で、
アラムの言葉を借りれば「数時間後、数日後には前線にいる彼ら」の未来を位置付けているのがなんともいえません。
アラムが政府の高官(確か因縁のライバルのプシュコフ、芸術の才能なかったけど入党して偉くなったアイツ)に、
「ソ連兵はドイツ軍が戦場で流すワーグナーを聴きながら死んでいくのだ」(だから兵士が高揚するような曲をかけ)と言われるシーン、
まさに『地獄の黙示録』だ…!(でも実は見たことない)
鉄道
この映画、鉄道そのもののシーンは一切ないんですが、ちょいちょい汽笛の音が聞こえてきます。
前述の政府高官がアラムに復讐を図るため、仲間の劇団員を唆してスパイに仕立て上げたり、恋人を無理やり奪われたりして、アラムがマジギレするシーンで汽笛と車輪の音が迫ってくるかのように使われています。
汽車を怒りの暗喩としてつかう表現は鉄道が登場してから文学・映画と色々使われておりますが、この映画もそうです。
暗喩として用いること自体はよくあることではあるんですが、おそらく監督が意図的にこの演出をしたかったのでは?
前述のとおり鉄道自体は一切出てこない作品ですが、宿から劇場に向かうシーンなんてなんともない場面でも汽笛だけはよく聞こえてくる作品なんですね。
そういったシーンで汽笛が使われることにも意味はあるんでしょうけども、多分ラスト、怒り爆発からの「剣の舞」を書ききるシーンのためだけに準備された布石だったんじゃないかなと。
(舞台の街、ペルムはシベリア鉄道の駅があったりと交通の要所みたいですが、特に劇中では触れられていないのでなおさら)
剣の舞・ラストシーン
劇中での剣の舞の扱いはほんとにラスト一瞬だけ。
ちょっとだけ流れて終わりっ! って感じで驚きました。
鑑賞後にいうなれば(剣の舞自体が物語の中心にあるわけではなく、生み出されるまでの過程を描いた作品だから)セーフ。
前述の身近な人に起こったものから、自身のルーツであるアルメニア人を襲った悲劇と、彼の生きる今(WW2)起こっているユダヤ人に対する悲劇、人類の悲劇・・・ハチャトゥリアンが抱える悲劇がこの曲に繋がっている、だからこそじっくり聴かせてほしかったなという想いもありました。
昔見た『善き人のためのソナタ』もそうですけど、社会主義体制の芸術家って文字通りの命がけで、いたたまねぇ…ってなりますね。
全然映画と関係ない話なんですが、SFCで原始人を操る横スクロールアクションのBGMで剣の舞使われた作品ありましたよね?
検索しても出てこないんだよな~ 誰かタイトル名わかる方いらっしゃったら教えてください…!